2008年08月04日 (月) | 編集 |
今日は気分を変えて、、、パーッと遊んできました。
・・・と言っても、前から決まってたんだけど・・・。
相棒は、以前住んでいた町のお友達・いつものエリカちゃんです。
今日は、銀座→有楽町→東京駅→八重洲地下街→日本橋というルート。
いつもながら、我らよく歩きます。
しかし、今日は暑かった〜〜〜。
あれこれ見たものの、何も買えずじまいでしたが、お話メインの楽しい時間を
過ごせました。
そろそろ別れようとデパートから出てきたら、なんと空が時間の割に暗い!!
うわ〜、大変だ〜と別れて帰ってきました。
空はどんどん暗くなり、「電車が中途半端に止まったらどうしよう〜」と不安でしたが
なんとかよつば駅まで無事に帰れました。
駅に降りたら、遠くで雷がゴロゴロって感じ・・・雨もパラパラ・・・。
早く帰らないと〜という感じで、いつものスーパーに寄るのを断念して小さなお店で
買い物をして家路を急ぐと、なんと、家の近くに帰ってきたら、道路乾いてたのです。
ほんの数百メートルで、雨が降っていたりやんでいたり、ちょっとびっくりでした。
だけど、おかげで洗濯物も濡れなくて、ラッキー!!
日頃の行いがいいから〜?・・・なんてね。 笑
・・・と言っても、前から決まってたんだけど・・・。
相棒は、以前住んでいた町のお友達・いつものエリカちゃんです。
今日は、銀座→有楽町→東京駅→八重洲地下街→日本橋というルート。
いつもながら、我らよく歩きます。
しかし、今日は暑かった〜〜〜。
あれこれ見たものの、何も買えずじまいでしたが、お話メインの楽しい時間を
過ごせました。
そろそろ別れようとデパートから出てきたら、なんと空が時間の割に暗い!!
うわ〜、大変だ〜と別れて帰ってきました。
空はどんどん暗くなり、「電車が中途半端に止まったらどうしよう〜」と不安でしたが
なんとかよつば駅まで無事に帰れました。
駅に降りたら、遠くで雷がゴロゴロって感じ・・・雨もパラパラ・・・。
早く帰らないと〜という感じで、いつものスーパーに寄るのを断念して小さなお店で
買い物をして家路を急ぐと、なんと、家の近くに帰ってきたら、道路乾いてたのです。
ほんの数百メートルで、雨が降っていたりやんでいたり、ちょっとびっくりでした。
だけど、おかげで洗濯物も濡れなくて、ラッキー!!
日頃の行いがいいから〜?・・・なんてね。 笑
2008年03月10日 (月) | 編集 |
今日はリアル友のエリカちゃんと会うことになっていた。
が、朝からの雨、、、、、

でも、いけばな展の招待状をもらっていたので、仕方なく、「雨でも行きます」と
銀座へ行ってきました。
よつば駅に行ったら、電車が来ない。雨のせいなのか、どこかとどこかの駅の間で
信号がおかしくなったので、点検中とのこと。
15分遅れで電車には乗れたけれど、その後、少しでも早いかと思って、路線を
変更したら、その電車は、朝急病人を運び出したので、遅れが出ているとのこと。
結局待ち合わせ場所には10分遅れぐらいで到着できたけれど、携帯があるおかげで
助かりました。
そういえば、もうずいぶん昔、、、私は銀座の三越ライオン前で、エリカちゃんは日本橋の
三越ライオン前で待っていたことがありました。笑
「あれ〜、今日と違ったんだっけ?」と長い間待っていたら、やっとエリカちゃん登場。
彼女も待てど暮らせど私が来ないので、受付の人に聞いたらしい。
そうしたら、「お客様、こちらは日本橋の三越ですが、ひょっとしてお待ち合わせは銀座の
三越前ということはないですか?」と言われて、銀座へ移動してくれたというわけ。
受けつけのお姉さんがそういうってことは、そういう人が結構いるのかな?笑

今日は銀座から日本橋まで歩き、そこからまた東京駅まで戻り、新しい大丸を
見てきました。
大丸の中でお茶しよう〜とお店を見て回ったけれど、高すぎて、断念。
八重洲の地下街で、安いケーキセットで粘って話し込んできました。
エリカちゃんと私は同じ年生まれ、ただし私が早生まれで学年は一つ上。
エリカちゃんには、娘が二人、私には息子が二人・・・・・
エリカちゃんの長女ちゃん
は、幼稚園のころ、わが長男
を好きだと言ってくれたのに、
今は違う人
を好きらしい。。。。。(あたりまえだ・・・)
我らの悩みは子育ての大変さ、学業の大変さを卒業して、そろそろ次の段階に入ろうと
している。
悩みは尽きることなく、、、、、果てしなく続く・・・・・。
親は大変・・・・・ときっと、私たちの親もそう思っていただろうなぁ〜。
& 
歴史は繰り返す・・・・・ってちょっとオーバーか!!
まあ、お互いはげましあいつつ、がんばろう!
が、朝からの雨、、、、、

でも、いけばな展の招待状をもらっていたので、仕方なく、「雨でも行きます」と
銀座へ行ってきました。
よつば駅に行ったら、電車が来ない。雨のせいなのか、どこかとどこかの駅の間で
信号がおかしくなったので、点検中とのこと。
15分遅れで電車には乗れたけれど、その後、少しでも早いかと思って、路線を
変更したら、その電車は、朝急病人を運び出したので、遅れが出ているとのこと。
結局待ち合わせ場所には10分遅れぐらいで到着できたけれど、携帯があるおかげで
助かりました。
そういえば、もうずいぶん昔、、、私は銀座の三越ライオン前で、エリカちゃんは日本橋の
三越ライオン前で待っていたことがありました。笑
「あれ〜、今日と違ったんだっけ?」と長い間待っていたら、やっとエリカちゃん登場。
彼女も待てど暮らせど私が来ないので、受付の人に聞いたらしい。
そうしたら、「お客様、こちらは日本橋の三越ですが、ひょっとしてお待ち合わせは銀座の
三越前ということはないですか?」と言われて、銀座へ移動してくれたというわけ。
受けつけのお姉さんがそういうってことは、そういう人が結構いるのかな?笑

今日は銀座から日本橋まで歩き、そこからまた東京駅まで戻り、新しい大丸を
見てきました。
大丸の中でお茶しよう〜とお店を見て回ったけれど、高すぎて、断念。
八重洲の地下街で、安いケーキセットで粘って話し込んできました。
エリカちゃんと私は同じ年生まれ、ただし私が早生まれで学年は一つ上。
エリカちゃんには、娘が二人、私には息子が二人・・・・・
エリカちゃんの長女ちゃん
は、幼稚園のころ、わが長男
を好きだと言ってくれたのに、今は違う人
を好きらしい。。。。。(あたりまえだ・・・)我らの悩みは子育ての大変さ、学業の大変さを卒業して、そろそろ次の段階に入ろうと
している。
悩みは尽きることなく、、、、、果てしなく続く・・・・・。
親は大変・・・・・ときっと、私たちの親もそう思っていただろうなぁ〜。
& 
歴史は繰り返す・・・・・ってちょっとオーバーか!!
まあ、お互いはげましあいつつ、がんばろう!
2008年02月15日 (金) | 編集 |
今回は5泊6日で帰省したわけだけど、完全に自由になるのは中4日。
家族とのお楽しみの日も作っておかないといけないので、半分は友達と会い、
半分は家族とのお楽しみに使った。
友達と会う一日は言うまでもなく、オフ会だったので、あとの一日はやっぱりいつもの
みもざちゃんとなった。
注意・リアルブログ友mimosaちゃんと、昔からの友達・みもざちゃんは別人です。
転勤族と縁のあった私は、どうしても、学生時代の仲良しグループとは縁遠くなり、
最近は、病気のことを告白するのも、隠すのも嫌なので、ついつい、帰省していないという
ことになってる次第。
みもざちゃんはOL時代の友達だけど、ここ数年は一番の友達で、今回の病気騒動も
最初からやさしい目で見ていてくれる友、今回も楽しく一日過ごせた。
「いつもいつも、ホント、ありがとう!」


話変わって・・・・・
実を言うと、この帰省前から、私はとても重苦しいネタを抱えていて、時々思い出しては
深いため息をつく・・・という生活をしていた。
学生時代の妹分が思いがけず、私の後を追うように、大腸がんの宣告を受けて、
私の術後2カ月半で手術をした。
お腹を30cmも切る開腹手術になったものの、病理の結果、腫瘍はおとなしい種類の
もので、抗がん剤治療も必要なしとの結果で、胸をなでおろしていた。
で、術後1年にお祝いメールをしたら、なんと「1年検診で肝臓に大きな影があるといわれ、
検査待ち」との返事が届いた。まさに青天の霹靂!
「うっそ〜、おとなしいガンって言ったじゃないの、なのに、どうして??」と私でさえ心は
大きく揺れた。
その後2週間経過しても、なんの連絡もなく、こればかりは「便りのないのは良い知らせ」で
あるわけもなく、毎日落ち込んでいたわけで、、、、
もし悪い方向へ向いていたら、彼女の気持ちを聞いてあげるのが私の使命?
でも、こわいよ〜!…なんてずっと気になっていた。
結局考えた末、行きの新幹線の中から、帰省することは伏せて、「どうしてる? 元気?
私の出番はある?」とメールした。
メールの返事はその日は来なかった。私の不安はますます増大!
結局翌日みもざちゃんとランチの最中にメールが届き、「今日が結果を聞く日で、
今終わりました。経過観察はしていかないといけないけれど、結果は白でした。」と、
メールが届いた。
結局何回もメールを交換したけれど、連休に入り、会うこともできず、帰ってきてしまった
けれど、元気ならまたいつでも会える。
しかしまあ、すごく緊張を強いられた2週間強だった。
本人やご家族の心労はもっと大きかっただろう。
ホントにやっかいな病気。それなりの覚悟はだんだんとできてきているつもりだけど、
やっぱり大変。
家族とのお楽しみの日も作っておかないといけないので、半分は友達と会い、
半分は家族とのお楽しみに使った。
友達と会う一日は言うまでもなく、オフ会だったので、あとの一日はやっぱりいつもの
みもざちゃんとなった。
注意・リアルブログ友mimosaちゃんと、昔からの友達・みもざちゃんは別人です。
転勤族と縁のあった私は、どうしても、学生時代の仲良しグループとは縁遠くなり、
最近は、病気のことを告白するのも、隠すのも嫌なので、ついつい、帰省していないという
ことになってる次第。
みもざちゃんはOL時代の友達だけど、ここ数年は一番の友達で、今回の病気騒動も
最初からやさしい目で見ていてくれる友、今回も楽しく一日過ごせた。

「いつもいつも、ホント、ありがとう!」


話変わって・・・・・
実を言うと、この帰省前から、私はとても重苦しいネタを抱えていて、時々思い出しては
深いため息をつく・・・という生活をしていた。
学生時代の妹分が思いがけず、私の後を追うように、大腸がんの宣告を受けて、
私の術後2カ月半で手術をした。
お腹を30cmも切る開腹手術になったものの、病理の結果、腫瘍はおとなしい種類の
もので、抗がん剤治療も必要なしとの結果で、胸をなでおろしていた。
で、術後1年にお祝いメールをしたら、なんと「1年検診で肝臓に大きな影があるといわれ、
検査待ち」との返事が届いた。まさに青天の霹靂!
「うっそ〜、おとなしいガンって言ったじゃないの、なのに、どうして??」と私でさえ心は
大きく揺れた。
その後2週間経過しても、なんの連絡もなく、こればかりは「便りのないのは良い知らせ」で
あるわけもなく、毎日落ち込んでいたわけで、、、、
もし悪い方向へ向いていたら、彼女の気持ちを聞いてあげるのが私の使命?
でも、こわいよ〜!…なんてずっと気になっていた。
結局考えた末、行きの新幹線の中から、帰省することは伏せて、「どうしてる? 元気?
私の出番はある?」とメールした。
メールの返事はその日は来なかった。私の不安はますます増大!

結局翌日みもざちゃんとランチの最中にメールが届き、「今日が結果を聞く日で、
今終わりました。経過観察はしていかないといけないけれど、結果は白でした。」と、
メールが届いた。
結局何回もメールを交換したけれど、連休に入り、会うこともできず、帰ってきてしまった
けれど、元気ならまたいつでも会える。
しかしまあ、すごく緊張を強いられた2週間強だった。
本人やご家族の心労はもっと大きかっただろう。
ホントにやっかいな病気。それなりの覚悟はだんだんとできてきているつもりだけど、
やっぱり大変。
2007年06月14日 (木) | 編集 |
よつば夫は転勤族です。
最初は川崎でサラリーマン生活を始め、その後大阪へ転勤。
ここで縁あってわれ等は出会いました。
結婚後4年半で兵庫県に転居、その1年後今度は関東へ。
関東へ来たのは、確か昭和62年の夏でした。
最初に居を構えたのは、横浜市緑区でした。(今はもう分裂してないの…)
最後に新幹線で関東に移動するとき、実家の両親が見送りに来てくれました。
当時、もう4才半になって、ある程度のことがわかっていた長男と私は、電車が動き出すと、
涙にくれました。
結婚したとは言え、実家のそばに住んでいた私は、ある意味、その時が旅立ち、自立の時でした。
で、2人で京都まで泣いていたら、夫が怒って・・・・・・
「泣くなら帰れ!!」 と言われました。
叱られて、二人とも、一生懸命泣き止んだわけですが、あの時・・・・・


「じゃ、失礼します」と京都で降りたらどうなっていただろうか〜と
今でも思ったりします。
そんな大それたこと、当時のおとなしい私にはとてもできず、一人での子育てが始まりました。
長男は3ヶ月ほど待ち、秋の気配が濃くなった頃にやっと幼稚園に入園を許可されました。
当時はまだ幼稚園も混んでいて、入れてもらうのは大変でした。
幼稚園生活が始まり、翌年母子一緒の遠足がありました。
子供は短期間でも通園生活を始めていたものの、私はその日が幼稚園デビューのような
ものでした。知った顔がないままに、バスに乗り、遠足へ…。
緊張している私に、「大阪からいらしたんですか〜、私も大阪なんですぅ〜」と声をかけて
くれたのが、エリカちゃんでした。
エリカちゃんは2人の女の子のお母さんでした。で、娘さんがうちの息子を気に入っていると
話してくれて、そこから付き合いが始まりました。
もうあれから20年・・・。
仲良くじゃれあっていた子供達は、3人が社会人になり、あと一人、我が家の次男も
来年から社会人です。
私達も確実に20才、年を重ねたわけです。私達、偶然にも同じ年の生まれでした。
途中で私達が今の地域に転居して、それからは、渋谷でよく会いました。
ランチを食べて、ウィンドーショッピング、そして、子供達の帰宅に合わせて大急ぎで帰宅。
渋谷がいつの間にか銀座になりました。

今日1年ぶりに会ってきました。
三越のライオン前、、、いやはや1年ぶりの再会はちょっと言葉にならないぐらい感激でした。
まぁ、泣き崩れるのも恥ずかしいから、適当にササッと再会の挨拶は済ませてしまい
ましたけどね。笑
去年の秋から、エリカちゃんは、いつもいつも、さりげなく元気をくれました。
私を特別扱いするでなし、ごくごく普通に接してくれて、とても嬉しかったです。
職場の人で数人、同じ病気を患ったものの、元気にされている例を話してくれて、
「大丈夫よ、よつばちゃん」と何度も言ってくれました。
ありがたかった〜。ホントにありがたかったんです。
「気の毒で見てられない」なんて言われたこともあり、病気を告白することの難しさを思い、
凹んだときもあったのです。
いろんな人がいて、いろんな反応があり、正直耳を疑うような言葉も投げかけられたけれど、
エリカちゃんはいつもさりげなく激励してくれたのです。
これぞ、友達と思います。ホント、ありがとうね!
で、今日は銀座から日本橋まで歩き、高○屋&コ○ドに行き、また日本橋から銀座に戻る
途中に休憩して、銀座では、プラ○タンで、買い物をして帰ってきました。
また7月にも会おうね…と言って5時前に別れてきました。
楽しかった〜、あんなに歩いても疲れていない私。体力ついてきました。嬉しいことです。
最初は川崎でサラリーマン生活を始め、その後大阪へ転勤。
ここで縁あってわれ等は出会いました。
結婚後4年半で兵庫県に転居、その1年後今度は関東へ。
関東へ来たのは、確か昭和62年の夏でした。
最初に居を構えたのは、横浜市緑区でした。(今はもう分裂してないの…)
最後に新幹線で関東に移動するとき、実家の両親が見送りに来てくれました。
当時、もう4才半になって、ある程度のことがわかっていた長男と私は、電車が動き出すと、
涙にくれました。
結婚したとは言え、実家のそばに住んでいた私は、ある意味、その時が旅立ち、自立の時でした。
で、2人で京都まで泣いていたら、夫が怒って・・・・・・
「泣くなら帰れ!!」 と言われました。叱られて、二人とも、一生懸命泣き止んだわけですが、あの時・・・・・


「じゃ、失礼します」と京都で降りたらどうなっていただろうか〜と今でも思ったりします。
そんな大それたこと、当時のおとなしい私にはとてもできず、一人での子育てが始まりました。
長男は3ヶ月ほど待ち、秋の気配が濃くなった頃にやっと幼稚園に入園を許可されました。
当時はまだ幼稚園も混んでいて、入れてもらうのは大変でした。
幼稚園生活が始まり、翌年母子一緒の遠足がありました。
子供は短期間でも通園生活を始めていたものの、私はその日が幼稚園デビューのような
ものでした。知った顔がないままに、バスに乗り、遠足へ…。
緊張している私に、「大阪からいらしたんですか〜、私も大阪なんですぅ〜」と声をかけて
くれたのが、エリカちゃんでした。
エリカちゃんは2人の女の子のお母さんでした。で、娘さんがうちの息子を気に入っていると
話してくれて、そこから付き合いが始まりました。
もうあれから20年・・・。
仲良くじゃれあっていた子供達は、3人が社会人になり、あと一人、我が家の次男も
来年から社会人です。
私達も確実に20才、年を重ねたわけです。私達、偶然にも同じ年の生まれでした。
途中で私達が今の地域に転居して、それからは、渋谷でよく会いました。
ランチを食べて、ウィンドーショッピング、そして、子供達の帰宅に合わせて大急ぎで帰宅。
渋谷がいつの間にか銀座になりました。

今日1年ぶりに会ってきました。
三越のライオン前、、、いやはや1年ぶりの再会はちょっと言葉にならないぐらい感激でした。
まぁ、泣き崩れるのも恥ずかしいから、適当にササッと再会の挨拶は済ませてしまい
ましたけどね。笑
去年の秋から、エリカちゃんは、いつもいつも、さりげなく元気をくれました。
私を特別扱いするでなし、ごくごく普通に接してくれて、とても嬉しかったです。
職場の人で数人、同じ病気を患ったものの、元気にされている例を話してくれて、
「大丈夫よ、よつばちゃん」と何度も言ってくれました。
ありがたかった〜。ホントにありがたかったんです。
「気の毒で見てられない」なんて言われたこともあり、病気を告白することの難しさを思い、
凹んだときもあったのです。
いろんな人がいて、いろんな反応があり、正直耳を疑うような言葉も投げかけられたけれど、
エリカちゃんはいつもさりげなく激励してくれたのです。
これぞ、友達と思います。ホント、ありがとうね!
で、今日は銀座から日本橋まで歩き、高○屋&コ○ドに行き、また日本橋から銀座に戻る
途中に休憩して、銀座では、プラ○タンで、買い物をして帰ってきました。
また7月にも会おうね…と言って5時前に別れてきました。
楽しかった〜、あんなに歩いても疲れていない私。体力ついてきました。嬉しいことです。
2007年01月28日 (日) | 編集 |
昨日の夜、そろそろゲロゲロ来るか…と怯え始めていた頃にメールが…。
なんと気になっていたノンちゃんからでした。
「生きています
」だって
腹腔鏡で手術予定、6cmの傷ということだったらしいのですが、トラブルがあり、
結局開腹手術となったようです。
実に30cmの傷、しかし、徐々に回復してきて、痛みも少しずつ引いているらしいです。
点滴を引きながら歩くのが大変らしいけど、歩いているみたいだし、良かったです。
モコちゃんには「先生に知らせてくれてありがとう、先生がいなかったら、
私、手術前に崩壊していた」と連絡してきたそうです。
私へのメールにも、感謝の意が書かれていて、「私ももしこれからガンの人が
周りに出たら、元気付けてあげられる人になります。それが先生へのご恩返し…」
なんて書いてありました。
いや〜〜〜、そんなに言われると、照れるじゃないかぁ〜!
ホントによかったです。あとは、若いし、回復するのも早いでしょう。
退院されたら、懐かしい声を一度聞いてみようと思っています。
その時に、厳しく、「もう先生と呼ぶな!」というつもりです。笑
皆様にも色々ご心配をおかけしました。
本当にありがとうございました。
関連記事
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なんと気になっていたノンちゃんからでした。
「生きています
」だって
腹腔鏡で手術予定、6cmの傷ということだったらしいのですが、トラブルがあり、
結局開腹手術となったようです。
実に30cmの傷、しかし、徐々に回復してきて、痛みも少しずつ引いているらしいです。
点滴を引きながら歩くのが大変らしいけど、歩いているみたいだし、良かったです。
モコちゃんには「先生に知らせてくれてありがとう、先生がいなかったら、
私、手術前に崩壊していた」と連絡してきたそうです。
私へのメールにも、感謝の意が書かれていて、「私ももしこれからガンの人が
周りに出たら、元気付けてあげられる人になります。それが先生へのご恩返し…」
なんて書いてありました。
いや〜〜〜、そんなに言われると、照れるじゃないかぁ〜!

ホントによかったです。あとは、若いし、回復するのも早いでしょう。
退院されたら、懐かしい声を一度聞いてみようと思っています。
その時に、厳しく、「もう先生と呼ぶな!」というつもりです。笑
皆様にも色々ご心配をおかけしました。
本当にありがとうございました。

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2007年01月23日 (火) | 編集 |
今日はノンちゃんの手術の日。
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http://yellowpansy.blog79.fc2.com/blog-date-20070119.html
何時からか聞き忘れたけれど、この時間、もう終わったか、手術中。
まだ始まっていないということはあるまい。
なんだか朝からドキドキ、ソワソワ、時計ばかりに目が行く。
私の手術の時は、自分のことで精一杯で、周りでこんな風にドキドキしてくれていた
人たちのことまで気がまわらなかった。
今頃、感謝の気持ちを感じている。
私の経験などたいしたことはないけれど、
「手術は寝ている間に終わる、手術の日にがんばらないといけないのは、執刀医と
手術スタッフ。ノンちゃんががんばるのは、目が覚めてからよ」と激励したのだが、
私に心の内を吐き出して、ずいぶん精神的に楽になったと言ってくれた。
自分が大きな病気をして、この経験をしたからこそ、後に続く人にやさしく接して
あげたいと思ったけれど、こんなに早くその時が来るとは、思いもしなかった。
彼女いわく、多分、目が覚めてからも、自然にがんばれるでしょう…とのこと。
彼女はモコちゃんには、入院したことを連絡もしていなかった。
やはり、あの頃の私と同じく、健康な人を「対岸の人」と思い、その存在を遠く
感じているのだろう。
病気は決してよいものではない、できれば、付き合いたくなかったけれど、
こういう風に、この経験から人をいたわれるようになったのは、神様から与えられた
使命なのかもしれないなぁ〜。
順調な回復を祈るばかりである。
関連記事
http://yellowpansy.blog79.fc2.com/blog-date-20061205.html
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何時からか聞き忘れたけれど、この時間、もう終わったか、手術中。
まだ始まっていないということはあるまい。
なんだか朝からドキドキ、ソワソワ、時計ばかりに目が行く。
私の手術の時は、自分のことで精一杯で、周りでこんな風にドキドキしてくれていた
人たちのことまで気がまわらなかった。
今頃、感謝の気持ちを感じている。
私の経験などたいしたことはないけれど、
「手術は寝ている間に終わる、手術の日にがんばらないといけないのは、執刀医と
手術スタッフ。ノンちゃんががんばるのは、目が覚めてからよ」と激励したのだが、
私に心の内を吐き出して、ずいぶん精神的に楽になったと言ってくれた。
自分が大きな病気をして、この経験をしたからこそ、後に続く人にやさしく接して
あげたいと思ったけれど、こんなに早くその時が来るとは、思いもしなかった。
彼女いわく、多分、目が覚めてからも、自然にがんばれるでしょう…とのこと。
彼女はモコちゃんには、入院したことを連絡もしていなかった。
やはり、あの頃の私と同じく、健康な人を「対岸の人」と思い、その存在を遠く
感じているのだろう。
病気は決してよいものではない、できれば、付き合いたくなかったけれど、
こういう風に、この経験から人をいたわれるようになったのは、神様から与えられた
使命なのかもしれないなぁ〜。
順調な回復を祈るばかりである。





